終了レポート

海の宝を探る「下北ジオサイト」ツアー -海と日本PROJECT-

日 程:
海の宝を探る「下北ジオサイト」ツアー 5月31日(水)8:30-16:00
下北ジオサイトツアー報告会 8月30日(水)13:25-15:15
開催場所:
5月31日…下北半島全域
8月30日…青森県立大湊高等学校2学年各教室
講 師:
弘前大学食料科学研究所 福田覚准教授
千葉県立中央博物館生態学・環境研究科 平田和彦研究員
青森県むつ市企画部ジオパーク推進課 石川智ジオパーク推進員、同・小池拓矢ジオパーク推進員、同・坂本朋子主事
引 率:
一般社団法人しもきたTABIあしすと 中川隆浩
青森県立大湊高等学校総合学科部 加藤清美主任、同・副葛西歩美副主任
オブザーバー:
一般財団法人函館国際水産・海洋都市推進機構 嵯峨直恆推進機構長
主 催:
一般社団法人しもきたTABIあしすと
共 催:
北海道大学大学院水産科学研究院
協 力:
弘前大学食料科学研究所、むつ市企画部ジオパーク推進課
目 的:
日本ジオパーク認定の「下北ジオパーク」の各ジオサイトを巡り、津軽海峡、太平洋、陸奥湾に囲まれる下北半島の大地、自然、文化等にふれることで、参加者自らの暮らしと海とのかかわりを再考する。

 世界35ヶ国127地域(2017年5月現在)にあるユネスコ世界ジオパーク。そのうちの8地域が日本にあり、これらは、日本ジオパーク委員会が認定する43地域の日本ジオパークに含まれている。日本ジオパークネットワークのホームページによると、ジオパークとは、地球や大地を意味する「Geo」と公園を意味する「Park」を組み合わせた造語で、地球を学び、丸ごと楽しめる場所をいう。

 「下北ジオパーク」は、2016年に日本ジオパークとして認定を受けた。その範囲は、まさかり形をした下北半島(以下、下北と表記)の北部の5市町村におよぶ。まさかりは、斧(おの)の一種。昔話に登場する「金太郎」がかついでいる道具だ。

 津軽海峡、太平洋、陸奥湾(むつわん)に囲まれている下北地域は、火山活動でできた岩石が海流で削られてできた奇岩の景勝地「仏ヶ浦」や、前衛アートをほうふつとさせる海食地形の「ちぢり浜」、「恐山火山群」などバラエティに富んだ自然景観を観察できる。また、地形や気候などの影響を受け、独自の文化や歴史が育まれてきた。

 今回のイベントの参加者は、青森県立大湊高等学校2年生188名。5月31日に尻屋崎ジオサイト、斗南ヶ丘ジオサイトなど下北に散らばる16のジオサイトを5つのツアーにわかれて巡った。その後、8月30日に大湊高等学校で、5クラス51班による報告会が行われた。

【5月31日(水) ツアー概要】

A:野平・川内(のだい・かわうち)コース

8:50
大湊高校発
10:00~10:15
野平高原
10:20~10:40
道の駅かわうち湖
10:45~11:00
親不知渓谷
11:15~12:05
川内川渓谷
12:05~13:00
大滝(昼食)
13:15~14:05
安部城鉱山
14:20~15:20
海と森ふれあい体験館
16:00
大湊高校着

 下北の西側にある野平、川内ジオサイト。陸奥湾に注ぐ川内川上流にある野平高原を出発し、川沿いに下りながら川内ダムによってできた「かわうち湖」と湖畔の「道の駅かわうち湖」、「親不知渓谷(おやしらずけいこく)」、大正時代に栄えた「安部城鉱山(あべしろこうざん)」の遺構などを観察。森と海のつながり、開墾や鉱山の歴史などについて学んだ。

 野平高原は約192万年前に噴火した直径約5kmの野平カルデラの内側に位置する。親不知渓谷のV字谷が人を寄せつけず、開墾(かいこん)がはじまったのは1948年以降に、満州や樺太からの引き揚げ者が入植してからだった。しかし、その後、川内川の治水によるダム建設で集落が水没したため、現在は、移転先から開墾した畑地に通い、レタスやダイコンなどの高原野菜や肉用牛を生産している。

 安部城鉱山は1917(大正6)年に最盛期を迎えた鉱山で、銀や銅を採掘していた。平安時代の初期には採掘が行われていたという説もあり、江戸時代には金、銀、銅の採掘地として知られていたという。最盛期には労働者やその家族などで人口が1万2000人を越え、青森市、弘前市、八戸町に次ぐ規模となり、川内町(現・むつ市)へと町制施行された。しかし、銅相場の下落が引き金となり、1925(大正14)年に休業。今も残る煙突が往時を偲ばせる唯一の遺産となった。

 この安部城鉱山の存在は、地域経済を発展させた反面、自然破壊をもたらした。そのため、環境回復を目的に植林がはじまり、全国各地で展開されている「森は海の恋人」活動が下北でも広がっている。今回、見学した「海と森ふれあい体験館」では、リンや窒素など森の土壌からもたらされた栄養分が、川の中流域でのヤマメやサケ・マスの養殖に役立ち、流れ下った先の海を豊かにして海産物ホタテの養殖につながることを学んだ。

 ツアーでまわったエリアは、もっとも遠い野平高原でも大湊高等学校からバスで1時間ほどの距離。しかし、遠足や家族ドライブなどで訪れたことはあっても、今回教わったような詳細を知る機会は少なく、地元を熟知する現地のガイドさんの話に関心が集まった。なお、川内地区には大湊高等学校の分校もある。

Aコース参加者全員で記念撮影。 

川内川渓谷遊歩道は、川内川沿いに約4.1km。吊り橋や斜張橋などが架かる。

標高626mの縫道石山(ぬいどういしやま)。野平高原から望める。津軽海峡の佐井沖で操業する漁船の目印だった。

川内川渓谷の途中にある大滝。川内川は陸奥湾に注ぐ。

安部城鉱山跡。生い茂る木々の間から煙突が!?

B:猿ヶ森砂丘・尻屋崎コース

8:50
大湊高校発
9:40~9:55
野牛川レストハウス(トイレ)
10:15~10:50
ヒバ埋没林
11:10~11:30
尻労浜
11:40~12:10
尻労
12:30~13:30
尻屋崎(昼食)
13:30~14:20
尻屋崎(解説)
14:40~15:00
野牛川レストハウス
15:50
大湊高校着

 猿ヶ森砂丘は、下北東部太平洋岸の東通村尻労(ひがしどおりむらしつかり)から小田野沢にかけて位置する。尻屋崎は猿ヶ森砂丘より北に位置し、津軽海峡と太平洋を分ける境界となる岬だ。このコースを巡るツアーでは、太平洋によってつくられた下北最古の大地と、現在も形作られている砂丘を見学した。

 猿ヶ森砂丘は、幅が約2〜3km、南北の距離は約17kmにもおよび、国内でも最大級の砂丘だ。海岸にたまった海浜砂が、風で飛ばされて形成されたもので、定義上は、森に覆われているところも砂丘に分類される。現在よりも海水準が高かった約6000年前から形成がはじまり、拡大と縮小がくり返されたと考えられている。その間、一帯にはヒバ林が広がった。青森県産のヒバは一般に「青森ヒバ」とよばれ、「木曽ヒノキ」や「秋田スギ」と並ぶ日本三大美林だ。砂丘の一角では、そのヒバが立ち枯れて砂に埋もれ、河川の浸食によって地表に現れた「ヒバの埋没林」が見つかった。樹木の生育年代の推定から約2000〜500年前に、少なくとも4回、砂丘砂の移動で埋没したと推測されている。

 ただ、猿ヶ森砂丘は、ほぼ全域が防衛装備庁の敷地。そのため、一般人はいわゆる「砂丘」の広がるエリアには入れない。今回は現地ガイドさんの案内で、猿ヶ森砂丘の北端で砂地の観察となった。

 ところで、むつ市の中心部から尻屋崎方面にしばらく車を走らせると、やがて左手に津軽海峡が現れる。晴れていれば対岸の恵山岬付近が見える。尻屋崎の手前には日鉄鉱業株式会社尻屋鉱業所があり、石灰石を採掘。尻屋崎はこの鉱業所の先にある。

 尻屋崎の大地は海成段丘面で、比較的平坦だが、地表は冬季の北西風で削られた崖由来の砂で覆われている。この砂がそのまま太平洋に流れ込まないよう砂防林の松を植林。砂丘は芝で覆われ、 尻屋崎で放牧されている寒立馬(かんだちめ)の餌場として、また、松林は風よけの場としても利用されている。寒立馬の放牧エリアは限られ、過放牧や荒廃地とならないよう頭数も制限されている。馬たちがのんびりと草を食む放牧地の一角には、2016年に点燈140周年を迎えた高さ約33mの尻屋埼灯台がある。レンガ造りの灯台では、高さ日本一!! 下北の観光スポットのひとつだ。

 そんな風光明媚な尻屋崎の背後には、標高約400mの桑畑山が控える。この山は石灰岩でできている。2億4000万年前に太平洋のはるか沖でできたサンゴ礁が、プレートに乗って移動し、ユーラシア大陸に付加して地上に現れた。なんと、ここからは当時生息していた二枚貝メガロドンの化石が見つかっている。

 現在、太平洋岸は海成段丘面が浅い海底を形成し、コンブが繁茂。函館や津軽海峡に面した風間浦周辺でもとれるマコンブという種類で、太平洋の荒波に育てられ、十分に育ったころに岩から剥がれ、海岸に打ち寄せる。尻屋の集落では、そのコンブを拾い集める「拾いコンブ漁」が盛んで、尻屋産ブランドで流通している。

尻屋崎ジオサイトのランドマーク、尻屋埼灯台の前で記念撮影。付近には寒立馬も。

猿ヶ森砂丘ジオサイトの北端にある尻労浜。

猿ヶ森砂丘の一角にあるヒバ埋没林。立ち枯れたまま一部が露出している。

尻屋崎ジオサイトでは、太平洋の海底に堆積した石灰岩や砂岩、礫岩などが海洋プレートに乗って運ばれ、大陸プレートに付加された「付加体」を観察できる。付加時に巻き込まれた砂岩、礫岩なども見られる。

尻労浜の鳴き砂。砂が擦れるとキュッキュッと鳴る。

C:田名部平野コース

8:50
大湊高校発
9:30~10:20
ボン・サーブ
10:45~11:30
野牛漁港
12:30~13:30
野牛川レストハウス(昼食)
14:20~15:20
水源池公園
15:30
大湊高校着

 大湊高等学校があるむつ市は、南は陸奥湾、北は津軽海峡と2つの海に面している。JRはまなすベイライン大湊線で野辺地から陸奥湾沿いに北上し、下北駅に続く大湊駅で終着となる。両駅間には田名部川(たなぶがわ)が流れ、この一帯が市の中心部として栄えてきた。

 田名部川が注ぐ大湊湾は、陸奥湾の北東部に位置し、約4300年前の縄文時代にはすでに形成されていたと考えられている砂嘴(さし)が、海岸線と平行してのびている。この砂嘴は「芦崎」とよばれ、芦崎湾は砂嘴に守られた天然の良港として活用されてきた。古くは南部藩の交易品を載せた北前船が出入りし、明治以降は軍港へ、そして現在は海上自衛隊の船が停泊している。

 背後には標高878mの釜臥山(かまふせやま)がそびえる。恐山火山群のひとつで、約80万年前の噴火で形成された。釜臥山は湧水に恵まれ、山裾には重力アーチ式石造堰堤の「旧大湊水源池水道施設沈澄池堰堤(きゅうおおみなとすいげんちすいどうしせつちんちょうちえんてい)が明治時代に建設された。2009年に重要文化財の指定を受け、現在は「水源池公園」として観光客を集める。

 いっぽう、津軽海峡に面したむつ市の北部海岸では、田名部平野が海底だった約12万年前以前の地層が、高さ約20m、長さ約8kmに渡り露出している。また、北部海岸には、恐山・むつ燧岳(むつひうちだけ)の火山噴出物による砂鉄が大量に存在。むつ市に隣接する東通村では、700〜500年前の製鉄跡が発見されているほか、江戸時代には南部藩も製鉄を試みたという記録がある。

 今回のツアーでは、さらに斗南ケ丘ジオサイトも回った。約12万年前に海岸付近に形成された平坦地が隆起によって標高30mまで持ち上げられた海成段丘である。戊辰戦争に負けた会津松平家が移り住み、「斗南藩」として再興し、200世帯が土地を開墾し暮らしていたが、一帯は火山灰の酸性土壌のため、開墾が進まないまま廃藩置県となった。 その後、1941年に北海道から酪農家20戸が乳牛とともに移住。約400haの土地を開拓し、70数年の歳月をかけて、この地を酪農地帯に育てあげた。今回のツアーでは、「斗南丘(となみがおか)牧場 ミルク工房ボン・サーブ」も訪れ、新鮮な牛乳でバターづくりを体験した。このコースでは、比較的新しく形成された大地と、その大地にもたらされた産業と歴史について学んだ。

過去約30万年間の地層が観察できる北部海岸の露頭を背景に記念撮影。

大湊湾を眼下に望む「北の防人安渡館」と隣接する「北洋館」(写真)を見学。北洋館は海軍大湊要港部の社交場として、1916(大正5)年に建てられた。外装の石は、釜臥山から切り出された安山岩。

重要文化財に指定されている旧大湊水源地水道施設沈澄池堰堤。北洋館の近くにある。

容器に入れた新鮮な牛乳を20〜30分間、シャカシャカとシェイクするだけで、やわらかなバターの出来上がり。美味!!

12万年前よりも古い時代の地層がむき出しになっている北部海岸。

斗南ケ丘の牧草地で。刈り取った牧草をロール状に巻き取り保存する。

D:大間崎・風間浦コース

8:50
大湊高校発
9:40
活イカ備蓄センター
10:10~10:35
大間崎
10:40~11:00
大間漁港
11:20~11:50
シーサイドキャトルパーク
11:50~12:50
西吹付山展望台(昼食)
13:05~13:25
ふのりちゃん
13:30~13:50
蛇浦段丘
14:10~15:00
活イカ備蓄センター
16:00
大湊高校着

 むつ市の中心部から国道279号線を北に向かうと、やがて進行方向右手に津軽海峡が見えてくる。この国道はかつて田名部街道とよばれ、驚くことに、起点は対岸の函館市駅前交差点だ。終点はむつ市から1時間ほど離れた青森県野辺地町松ノ木平交差点。全長約160kmのうち、大間町—函館市を結ぶフェリー航路が国道代わりなのだという。ちなみに、大間−函館フェリーの所要時間は1時間30分。函館側のフェリーターミナルは、北海道大学大学院水産科学研究院から徒歩10分の場所にある。

 Dコースでは、その大間町と隣接する風間浦村を訪れた。大湊高等学校を出発して最初に寄ったのが、風間浦村活イカ備蓄センター。最近は漁獲量の減少に頭を抱えるものの、スルメイカ漁が盛んで、このセンターには300杯まで備蓄できる巨大な水槽がある。

 風間浦村は本州最北端の村で、室町時代から知られる下風呂温泉郷は井上靖の『海峡』や水上勉の『飢餓海峡』の舞台としても登場する。本州最北の火山、「むつ燧岳(むつひうちだけ)」の裾野が海岸線にまで広がり、わずかな平地に住宅や旅館が密集。学校や田畑がある丘の上の平坦地は、約12万年前に波浪で形成され、その後、隆起したという。蛇浦段丘とよばれるこの海成段丘も見学した。

 また、風間浦村の沖合は、津軽海峡の最深部にまで続く急峻な海底斜面で、アンコウの好漁場となっている。漁港に近いので生きたまま水揚げされ、風間浦村では「風間浦鮟鱇」として地域団体商標を取得している。

 そのほか、フノリやマコンブもとれ、海藻は特産品として道の駅などで売られている。フノリは、江戸時代に北前船の船着き場を築くために投入された石に付着している。また、ここでとれる風間浦産マコンブでとったダシの風味は、和食文化の発展に影響を与えた函館産マコンブでとったダシの味に似ている。

 大間町は、全国にその名をとどろかすクロマグロ(ホンマグロともいう)の水揚げ港だ。観光客でにぎわっているうえ、津軽海峡に三方を囲まれているせいか、閉塞感がない。本州最北端の大間崎にはクロマグロのオブジェが飾られ、周辺はみやげもの屋が軒を連ねる。そして、意外にもここではタコの燻製がたくさん売られている。じつは、安定収入になるタコ漁も盛んに行われてきたのである。

 大間崎、大間漁港を見学し、町営観光牧場「シーサイドキャトルパーク大間」と「西吹付山展望台」も訪ねた。ここは国道279号線から市街地へと向かう入り口付近。当日はあいにくの曇り空だったが、晴れていれば、西吹付山展望台から函館も望める。大間町と函館市は最短で17〜18km。両岸に住む人々は、遺跡の出土品から1万年以上も前から丸木舟で行き来していたといわれている。今回は、地球の壮大な営み、歴史、食文化を実感する体験となった。

シーサイドキャトルパーク大間で記念撮影。

西吹山展望台からは津軽海峡や函館も望める。

風間浦村の下風呂温泉郷。第二次世界大戦中に工事が中断した幻の「大間鉄道」。その陸橋跡が残る。

大間崎のクロマグロのオブジェを囲んで。

風間浦村には海藻を豊富に扱う産地直売所「ふのりちゃん」がある。すぐ裏の海岸には、フノリが付着した石がごろごろ並ぶ。

段丘面上の水田を見学。

E:仏ヶ浦・佐井コース

8:50
大湊高校発
10:20~11:35
仏ヶ浦
12:05~12:20
願掛け岩(解説)
12:20~13:10
願掛け岩(昼食)
13:15~13:50
海峡ミュウジアム
14:00~14:25
津鼻崎・材木まちあるき
16:00
大湊高校着

 仏ヶ浦は下北半島の観光名所として知られ、南北に細長い佐井村の南、下北半島の最西端に位置する。佐井村の東側には標高600〜800mの下北山地が連なり、大間町から通称「海峡ライン」(国道338号線)を海沿いに南下。途中から下北山地の曲がりくねった道が延々と続き、仏ヶ浦へと向かう。また、一帯はニホンザルの生息北限地域で、国道にも出没。今回の5コースのうち、このコースはもっとも秘境感あふれるエリアである。

 さて、今回のツアーでは、大湊高等学校を午前8時50分に出発し、国道338号線を陸奥湾に沿って西へ向かい、川内川に沿って上流方向へ進み、佐井村の牛滝(うしたき)という集落へ至った。

 牛滝からは「夢の海中号」に乗船し、約15分で仏ヶ浦へ。浜に上陸し、現地ガイドさんから説明を受けた後は、崖上の展望台との標高差約100mの斜面につくられた遊歩道を20分ほどかけてのぼった。そして、展望台の駐車場に待機にしていたバスで、国道338号線を佐井村の中心部に向けて北上し、「願掛岩」、「海峡ミュウジアム」、大間町のスカシユリの群生地「津鼻崎」を回り、16時に大湊高等学校に戻った。

 ところで、仏ヶ浦はおよそ2kmにわたり白緑色の岩が連なる海岸のうち、奇岩が立ち並ぶ一角のことを指す。主だった岩には「如来の首」、「五百羅漢」、「一つ仏」、「観音岩」、「蓮華岩」、「燭台岩」など仏教にまつわる名称がつけられている。「浦」とは、湾曲した陸地の奥に海が入り込んでいるところを指す。

 仏ヶ浦一帯の白緑色の岩々の形成は、約2000万年前の日本海拡大が関わっている。海底火山の噴火による火山灰が海水と反応して緑色を示す鉱物を生成。このとき積もったものはグリーンタフという岩石で、日本海側に広く分布し、日本海拡大の証拠とされる。仏ヶ浦の岩は、広義のグリーンタフに含まれる。

 この仏ヶ浦がある佐井村は、江戸中期〜明治30年代に北前船の寄港地として栄え、京都、大坂、江戸など外部から人、モノ、芸能などが伝えられた。船以外には交通の便が悪く、長く閉鎖的だったことが幸いして、手踊り、祭り囃子、歌舞伎などの伝統芸能が残されている。「福浦の歌舞伎」、「佐井の山車行事」は青森県の無形文化財。仏ヶ浦でも毎年7月には、地元の女性たちによって奇岩や地蔵にご詠歌を奉納する「仏ヶ浦まつり」が受け継がれてきた。しかし、少子化による人口減少、 後継者減少などで基幹産業の漁業離れが衰退傾向にあり、村では「佐井村地域おこし協力隊員」を募集中だ。

仏ヶ浦で記念撮影。

仏ヶ浦は、海底の火山活動により長期間にわたって降り積もった火山灰が堆積して形成された凝灰岩。国の天然記念物。

佐井村牛滝集落から「夢の海中号」に乗船。

右手に写る巨岩は、「如来の首」。一般の観光客も多数訪れていた。

牛滝漁港で、水揚げされたばかりのヒラメなどを見せてもらう。

願掛岩の柱状節理。

佐井村の観光拠点、「津軽海峡文化館 アルサス」でもジオパーク関連の資料が展示。

【8月30日(水) グループ別報告会】

 5月31日のツアーから3ヶ月。この間、参加者はグループごとに、8月30日の報告会の準備を進めた。当日は、ツアーで撮影した写真や自分たちで作成したイラストやグラフなどを使い、8枚の電子紙芝居にまとめたものを、クラス単位で発表。青森県むつ市企画部ジオパーク推進課の職員3名と弘前大学食料科学研究所の福田覚准教授、初代ジオパーク推進員で、現在は千葉県立中央博物館研究員の平田和彦さんの5名が、2年1組〜5組をそれぞれ担当し、改善点を助言した。

 黒板前に用意されたスクリーンに、自分たちがパワーポイントでつくったスライドが映し出されていく。班は4〜5名で構成され、説明担当とパソコンの操作担当が息の合ったところを見せる。とはいえ、おおぜいの前で発表するのはこの日が初めてとあって、メモを片手に説明をする人がほとんど。そして、ちょっと棒読み。練習不足なのかな、それとも上がっちゃった?

 「こんな経験したことないから緊張します」と、恥ずかしがる2年5組のある女子。

 そのいっぽうでは、発表後の質問タイムに、あえてトンチンカンな回答をしてクラスじゅうを爆笑させ、教室内を和ませる余裕たっぷりの男子も!!

 猿ヶ森砂丘・尻屋崎コースに参加したある女子は、「いろいろ体験してきたことを8枚にまとめるのがたいへんでした。今日の発表にしても、みんなにどう伝わるのかがわからないので悩みました」とプレゼンテーションのむずかしさを打ち明ける。

 「仏ヶ浦・誕生と文化の歴史」というタイトルをつけたある班は、平田さんから「内容がわかりやすく、とてもいいタイトルだ!」とほめられ、うれしそうだ。スクリーンには、船上から撮影した仏ヶ浦の全景が映し出されている。そこに画面の5分の1程度のスペースを使い、説明文をプラス。パワーポイントのアニメーション機能も使い、仏ヶ浦の岩肌を接写した写真が最後にパッと現れた。

 「神秘的な景観をわかりやすい文章で見せている。文字と写真のバランスがいいですね。そのうえで、凝灰岩がどんなものなのか、アニメーション機能で写真を追加して見せた。みんなも、これを参考にするといい」

 写真だけ、あるいは文章だけで、いいたいことを伝えるのはむずかしい。この班はインパクトのある写真を使い、そこに短い説明文を加え、アニメーションによる視覚的な効果もいかした。

 「5〜6時間でつくったんですが、ちょっと制作時間が足りなかった」と、制作した男子生徒のひとりは悔しそうな表情を浮かべたが、最終の報告会まで手直しの時間は十分にある。

 全体的には、ツアーをもとに独自の視点でテーマを見つけ、しかもパワーポイントを完全に使いこなしている班があるいっぽうで、ツアーの報告を簡単にまとめただけの班もあり、内容もまとめ方もさまざま。「みんなで集まってまとめる時間が3時間しかなくて、もう少し時間に余裕があったらいいなあ」という声も聞こえるなか、大間崎・風間浦コースに参加して、「ふのりん」というオリジナルのキャラクターを考案した女子チームもいる。夏休み中に時間をかけたのか、気合いがはいっている。

 もっとも、気合いたっぷりにツアーに参加して、残念な体験をしたひとも……。仏ヶ浦・佐井コースに参加したある男子は、構成を考えるのがむずしいとぼやき、こんなエピソードを披露してくれた。「船で仏ヶ浦に行って、すごく感動しました。その後、願掛岩の柱状節理を見に行ったんですが、おれ、願を掛けた次の日に彼女と別れちゃったんですよぉ」

 それを聞いた同じ班の仲間たちが大爆笑。彼らの作品の構成は、もう、これで決まり。願掛岩のエピソードをオチにすれば、きっと、面白い電子紙芝居に仕上がるだろう。

 「みんなの発表には、自分の知らない地域の話がたくさん出てきました。今日は勉強になったし、楽しかったです」という声があちこちで聞かれ、熱心にメモをとったり、身を乗り出して発表を聞いていたりと、熱気あふれる100分間となった。

大湊高校は釜臥山のふもとにある。

標高50メートルほど。大湊湾や芦崎の砂嘴を望める。

<報告会の様子>

これが今回考案された新キャラクターの「ふのりん」(写真左側)

(佐々木 ゆり)

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