マリン・ラーニング

【イベント終了レポート】

はこだて国際科学祭2016 海と日本プロジェクトプレゼンツ サイエンスライブ
〜ジャズと楽しむ〜 海の宝の物語
カキじいさんの熱〜い話に海の科学を学ぶ

開催日
2016.08.20(土)
時 間
PM5:00~PM6:30
会 場
五稜郭タワー アトリウム
主 催
サイエンス・サポート函館

「森は海の恋人」の畠山重篤さんが登場!!

 ミネラルとうま味成分をたっぷり含み、家庭でも、酒宴でも“ごちそう”の座に君臨するカキとホタテ。流通しているものの大半は養殖で、カキの生産量は広島県、ホタテは北海道が圧倒的に多く、平成27年4月公表の「農林水産統計」では、海面養殖業魚種別収穫量は、カキ184,100トン、ホタテ192,300トン。両者をあわせると、生産量は貝類全体の9割以上を占めています。

 ヨーロッパでは古代ローマ時代に早くもカキの養殖がおこなわれ、日本ではカキ、ホタテともに、1920年代から海面養殖が試みられるようになったとか。天変地異や環境汚染などの影響を受けやすい海面養殖ですが、東日本大震災では、宮城県のカキ・ホタテ養殖に甚大な被害が出ました。しかし、生産量は徐々に回復。養殖業の盛んな気仙沼市唐桑地区の漁港にも、震災前の活気が戻ってきました。

会場は観光客も集まる五稜郭タワー アトリウム。

 8月20日、「はこだて国際科学祭2016」の会場でおこなわれた講演会+ジャズ演奏会の「サイエンスライブ」には、その唐桑で養殖業を営む畠山重篤(はたけやま・しげあつ)さんが登場しました。畠山さんは、海を育む森づくりを進めるNPO法人「森は海の恋人」の代表。海水の汚染が進んだ昭和40年代に、河川の上流域の森の重要性に気づき、漁師仲間に呼びかけて、1989年に、気仙沼に注ぐ大川の上流で「植樹祭」をおこない、以来、日本の養殖業に影響を与えてきました。

 その一方で『カキじいさんとしげぼう』(講談社)、『牡蠣礼賛』(文春新書)など数多くのエッセイ集も上梓。小学校、中学校の社会科の教科書、高校の英語の教科書でもその活動が取り上げられ、京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授として教壇にも立つというマルチぶりを発揮しています。そんな畠山さんの講演に、参加者の期待もふくらみます。講演会は、司会進行役の北海道テレビ放送アナウンサー、依田英将(よだ・ひでまさ)さんによる畠山さんの紹介でスタートしました。

森の鉄分が海を育てる

 「海って大きくわけて、暖流と寒流が支配していて、北海道は寒流の影響を大きく受けている。寒流と暖流がぶつかると好漁場になるといわていますが、じつは、鉄がないと好漁場にはならないんですよ。で、その鉄は中国から飛んでくる黄砂にふくまれている。あの黄砂が、プラスになっていたんですね」

 北海道でも黄砂は悩みのタネ。講演の初っ端から意表をつく話題で、100名近い聴衆の関心を引きつけた畠山さんの話は、森と海の関わりについて進んでいきます。

 「サロマ湖の漁師から、川が注いでいるところの海と、そうではないところの海では、カキもホタテも味がちがうという話を聞いたことがあります。川の水には森の土壌に含まれている鉄が流れ込む。植物にとって鉄は、光合成に必要なクロロフィルをつくるために欠かせない。肥料の窒素やリンも鉄がないと吸収できません。たとえば、松の盆栽にクギを刺しておくと、緑色がきれいになりますが、これも鉄のはたらきです」

 小学校で講演することもある畠山さんの説明は、じつにわかりやすく、ウンウンとうなずきながら耳をかたむける聴衆がほとんど。熱い視線がステージに集まるなか、畠山さんがすっくと立ち上がり、そばにあったホワイトボードに何やら漢字を書きはじめました。蘇鉄。

「蘇鉄は、鉄で蘇ると書くのです」と畠山さん。

 「奄美大島では、食べ物がなくなったときのデンプン質はソテツから摂っていたそうですが、この植物は漢字で、蘇る、鉄と書きます。つまり鉄で蘇る。地球の3割は鉄でできています。函館の特産品のコンブだって、鉄があるからあの色になり、森が函館の海を育てているのです」

 少々解説を加えると、コンブの色は、光合成色素のクロロフィルだけではなく、β-カロテンやフコキサンチンなどの色素も影響しています。畠山さんの話はさらに、遠くロシアのアムール川へと進んでいきました。

 「ホタテの養殖が盛んなサロマ湖は、オホーツク海に面しています。オホーツク海には、アムール川の水が流れ込み、この水に鉄がふくまれている。アムール川の流域には広大な森林地帯があり、豊かな森の環境が、オホーツク海にも影響しているんです。このことは7、8年前の北大の研究で明らかにされました」

 「ほぉ〜」と感心する声が立てつづくなかで、畠山さんは「鉄分が魚介類の成長に重要だということは、北大水産学部の教授だった松永勝彦先生に教えられました」と打ち明けました。

 森づくりの活動をはじめた当時、その根拠となったのは漁師の直感。森づくりの重要性を問われても、科学的な説明ができないまま過ごしていた畠山さんは、ある時、テレビ番組で磯焼けについて説明する松永教授の存在を知り、すぐに気仙沼から北大水産学部がある函館へと向かいました。それが30数年前のこと。ともするとアカデミックな世界で留まりがちな研究成果は、最前線で試行錯誤をくり返しながら養殖事業に取り組んでいた畠山さんを介したことで、全国規模の森づくり活動へと発展したのです。

 「東日本大震災では養殖場にも大きな被害が出ました。ところが、黒々と変色してしまった唐桑の海は、半年で泥が沈み、海の環境も回復しました。森を育ててきたことで、回復が早かったのだと思います」

ジャズライブではアンコールも!

 森の力をあらためて知る話の数々。畠山さんは、「カキ爺さん」という自身の愛称も披露するなど、聴衆を最後まで惹きつけ、講演会は大盛況のうちに終了。引き続きおこなわれた地元のジャズバンド、Hakodate Jazz Scientifiqueの演奏会も盛り上がり、「はこだて国際科学祭」の初日は、そのコンセプトどおり、楽しみながら科学に触れてお開きとなりました。知的好奇心をくすぐるサイエンスライブに万歳!

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